Word of 白井潤山



学生時代、友は、「趣味悩み。」と、私を評した。私は、未だ混沌の中にいるのだった。

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小学生の頃に、先生から作文を褒められました。それ以来、文章を書く事が止められません。書を続けているのは、この事も一因の様に思います。詩を綴ったり、短歌や俳句を捻ったり、童話を書いてみたり、どれもこれも物にはなりません。それでも、何か書いてみたいと思います。
書では表現し切れない物、反対に、文章だけでは表現し切れない物、写真でも同様です。私は、表現し切れないジレンマを感じている様です。それが、色々な物に手を出してしまう原因の様です。

昭和40年。早稲田表紙.jpg小学生の頃の早稲田界隈の風景です。私の少年時代は、戦後から、もはや戦後ではない、という過度期でした。呼び出し電話、都電、地下鉄、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、色々な物が、家庭に入り込んで来た時代です。今思えば、少し不便なその生活を懐かしく感じます。
新宿とは言え、いまだ静かな早稲田の町も大きく変化しました。生まれ育った早稲田の町を離れ、名古屋で暮らす今、なおさらその感が強くなっているのかも知れません。
リンク先は、LinkIcon「昭和40年頃。早稲田界隈。」です。

境界線表紙改.jpg文章を書くと言うのは、私の原点でもあると思っています。書道を始めたのは、多分に文章だけでは、表現し切れないと言う不安を消す為だったと思います。「書不尽言。言不尽意。」文章は、語るまででは無く、また、語る事でも、自分の気持ち迄は、表現出来ない。そんな意味だと思います。文章だけでは、表現しきれない、そんなもどかしさを埋める為に、私は、書という道を歩んで来た様に感じます。逃げ場を求めはしたものの、気持ちを表現出来ない。それは、当然の事でした。どんな方法を使おうと、意を伝える事は、至難なのです。書を始めて、四十年も時間だけは、過ぎました。そして、漸く書が、文章の拙さを補う方法ではない事を感じ始めました。そして、文章を書く事、それはそれとして、進化してすくべきだと思い直しました。どんな表現方法を使おうと、表現出来るのは、自分の内面のほんの僅かです。考えるべき事は、表現の手段では無いのでした。自分自身の成長こそが、必要なのでしょう。
それが、出来る様になった訳ではありません。でも、もう一度、文章を書いてみたいと思い始めました。
この小説は、本当は、ショートストーリー名古屋へ応募するつもりで、構想を練っていたものです。しかし、短い話では、纏め上げる事も難しいと思い始め、そして、「ブクログのパブー」と言うサイトが出来た事を機に、書き始めたものです。
東京生まれ、東京育ちの私が、名古屋へ来た事を記録にしよう。それが、動機と言えるのかも知れません。現在の名古屋の生活と、名古屋へ来る迄の生活を交互に書いています。それが、成功しているのか、否、成功させられるのかは別として、今の私のポジションを理解して頂くには、それを交互に書き込む事が、必然の様に思っています。
書き始めてみると、色々と言葉を選ぶ必要性と、思いを伝える事の難しさの間にいます。「認知症」という問題と直面している事が、その大きな原因です。現実は、もっとドロドロとした、思いやりの無い言葉のやりとりがあった様に思いますが、それをあからさまにする事には、抵抗があります。それを抑えた上で、表現する事が、文章を書くと言う事なのでは無いかと、考えています。書にしても、写真にしても、文章にしても、事の本質は、崩れそうで、崩れない、微妙なバランスにあるのかも知れません。
ご興味が湧くかは、分かりませんが、ご一読頂けましたら、そして、お気に召しましたら幸いと存じます。リンク先はLinkIcon「境界線」です。

おしゃべりなオナラ表紙.jpg童話には、父に叱られた思い出があります。あるコンテストに応募した事が、落選の葉書でバレた時の事です。何次かの選考を通過した後の落選だった為か、文筆を職業として考えているのでは?と疑われた様です。私は、職業として考えていた訳ではなく、単に賞金が目当てでした。
この話は、内気な女の子が、上手く自分を表現出来ずに、その代わりにオナラがしゃべりだしてしまうと言う話です。絵本にしたかったのですが、絵心の無い私には、オナラを絵にする事が、出来ませんでした。「絵のない絵本」もあることですからと、言い訳しています。
リンク先はLinkIcon「おしゃべりなオナラ」です。